セミリタ計画45

45歳でセミリタイアを目指すブログ

私が無職に憧れるようになった歴史

私は、自分の将来の方針を半分は自分で決めた気はするが

半分は親が反対しない方向を感じ取って決めたり、同級生などの周りがそうしているから自分も進学するという主体性のない決め方をしたと思う。

 

大学に行ったのも勉強をもっとしたいと思ってはいなかったし

就職に有利だからという思いがあっただけだと思う。

就職先を決めるのも推薦があり、それほど難しくないというそれだけの理由だ。

採用に落ちれば、また別のところ、と就職活動していたに違いない。

自分が得意とか好きとか、そのどっちでもない方向に進んでしまったと思う。

それでもなんとかやっていけるかなという自信があったと思う。

 

それが社会に出たら、やはりそれではうまくいかなかった気がする。

頑張らなくてもうまくできる人間がいて、頑張ってうまくいく人間がいて、その下あたりに私のような普通の人間がいる。まあその下には頑張ってもうまくできない人間と、何をやってもダメな人間というのもいるとは思うが…。

 

世の中は普通程度の能力だから大丈夫!とは評価してくれないわけです。

もっと上を目指せと叱咤激励されるわけです。

親に言われても嫌だったセリフが会社でも出てくるわけです。

「〇〇さんは(年下)でもできてますよ。」「△△さんはこういう方法でうまくやっていますよ。」

これを聞いたら、内心「私は私、私で優れているところもあるけど、どうしようもできないとこもありますよね。」と思うだけだ。

 

そんな自分の人生を歩んでいる中、世の中ではインターネットの配信だったり、ゲーム実況などが流行り始めていた時代で、配信者は無職であっても楽しそうにゲーム配信をしていた。面白そうだな、でも自分は無職になってゲーム配信で生きていける自信はないなとも思ってはいたが、自由に楽しそうに生きる生き方もあるというのをそこで知った気はする。

今でもずっと続けられている配信者というのも多くはないと思うので、やはりあの当時感じた考えも間違ってはいなかったと思うが。

 

次に大きい影響を与えてくれた本が3冊あって、どれを最初に読んだか定かではないが

「自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ」「ニートの歩き方」「年収90万円で東京ハッピーライフ」の三冊だ。

 

これを読んだ当時の感想は、こういう生き方も楽しそうだなと思ったのと、自分も社会不適合者だと就職する前から思っていたので、生きやすそうな方法もあるものだと目から鱗が落ちた。

金銭的に楽ではないと思うが、人間関係の辛さはないという感じだ。

とは言え、就職はしており、会社勤めをすれば、安定があるのも確かであり、いつかはこのような生活をしなければならないという覚悟のようなものができたきがする。

その覚悟があったからか、それほどの贅沢をせずに生活していた気がする。

早めに気が付けてよかった。

 

その後にはミニマリスト、FIREなど手をかえ品を変え出てきたが

これらの書籍を読んだほどのインパクトはなかった。

ミニマリストになると欲が少なくなるかなと思ったが、結局、サラリーマンのストレスがあるのに趣味のものまで減らすのは苦しいという感じだった。

サラリーマンストレスがなくなり、自分の土地で植物でも育てれば、もう少しスローなライフが送れそうな気がした。ミニマリストはストレスがなくなった上でできるような気がした。

FIRE(4%ルール)に関しては少しだけ新しい無職の観点をくれたが

少しリスクが大きいなと思った。過去できたことが、現在できないということも多々あると思う。

暴落が来たらラッキー始められるという気持ちがあるので、世界的暴落が来ることがあればFIREするかもしれない。

 

今まで生きてきて、これらの価値観に触れることによって

会社に自分のやりたいことはないなという気持ちになってきたので

今の気持ちとしては、45歳で無職リタイアしようかなと思うに至った。

 

後4年で何が起きるかわからないので、まだまだ計画としか言えないが…。